弁護士による税務紛争対応(再調査の請求・審査請求・税務訴訟,税務調査)
 

〒104-0045
東京都中央区築地1丁目12番22号 コンワビル8階
本間合同法律事務所
弁護士・税理士 坂 田 真 吾

TEL 03-5550-1820

 

租税法解釈の方法論(佐藤英明教授の分析を読んで)後編
(r3/8/30更新)(前回の記事掲載以降立て込んでしまい掲載が遅くなりました)

納税者有利な方向では柔軟な解釈が許されるべきではないか

 前回は、租税法規を、納税者に有利に(のみ)柔軟に解釈することが許されるかという問題提起をしました。

 刑事法的な発想をすれば、国家VS私人という権限等に大きな差がある対立構造の中で、実質的な公平を保つために、裁判所が私人に配慮した取扱をするということは違和感はないのですが、その他、私なりに、いくつかの根拠を提示してみたいと思います。

立法が機能しない場合の裁判所の積極的な介入の必要性
  1.  憲法学の分野では、裁判所が法令の憲法適合性を判断する際に、表現の自由を中心とする精神的自由を規制する立法の合憲性は、経済的自由を規制する立法よりもとくに厳しい基準によって審査されるべきとする考えがあります。

     このような考えは二重の基準論と言われます。その根拠は、民主政の過程を支える精神的自由が不当に制限されている場合には、国民の知る権利が十全に保障されず、民主政の過程そのものが傷つけられているために、裁判所が積極的に介入して民主政の正常な運営を回復することが必要である等と言われています。
     
  2.  以上はあくまでも違憲立法審査権に関わる概念であり、租税法規の解釈のあり方と直ちに同一に論ずることはできません。

     しかし、租税法規の専門性や複雑性、それに伴う実質的な立法関与者がわずかであること、特に、細かな条文であればあるほど、立法や国民の目が行き届きにくく、改正は容易でないこと等からすれば、二重の基準論の根底にある、立法の過程では是正が難しい問題については司法が対応すべきであるという発想が当てはまり、かかる租税法規の形式的な適用によって不合理な犠牲を強いられる納税者がいる場合には、裁判所が柔軟な法解釈によって救済することも許容されると考えることは十分に合理的であると思います。
     ある不合理がある場合に、国側はそれを是正する法改正をすることは容易ですが、納税者側が主導して法改正することは容易ではないから、司法がそれを是正することは許容されるべきである、というイメージです。
     
  3.  この点、大島事件判決(最高裁昭和60年3月27日判決)は、「租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである」としています。この判決は、普通は裁判所の法解釈の謙抑性の根拠となると言われます。

     ここで、判決は「立法府」といいますが、租税法規のうち、特に技術的な部分は実質的には行政府(財務省主税局)が作成し、立法府はこれを追認するのが実態であろうと思います。そうすると、判決の考えを前提にしつつも、技術的な判断が専門的であり、立法府が十分な技術的判断ができていないのであれば、その是正を法技術的な事柄に精通しない立法府にだけ委ねるのではなく、公平性の貫徹を役割とする司法が是正するべきだ、という考えも成り立つと思われます。
保険理論の応用
  1.  刑事法の分野には、「疑わしきは被告人の利益に」という法原則があります。

    後藤昭「疑わしきは被告人の利益にということ」(一橋論叢 117 巻 4 号 573-591)という論文は、その法原則を保険理論から説明しています。その趣旨を租税法の法解釈の分野にも当てはめると次のように言えると思います。
     
  2.  すなわち、ある法律を、形式的に解釈することによる生じる不合理は、(1)課税すべきなのにしないという不合理と、(2)課税されるべきでないのにするという不合理に分類することができます。

     (1)の不合理による被害は国家、ひいては国民全体に広く薄く分散するのに対し、(2)の不合理による被害は当該納税者に集中してしまいます。

     私がこれまで受けた相談の中にも、形式的な税法の落とし穴にはまってしまったというべき善意の納税者の方がいます。さほどの落ち度があったわけでもないのに、一生かかっても支払いきれないような税金を課税されてしまうのを見るとき、「法律を文字どおりに読むとそうなるから甘受せよ」というのはあまりにも不正義であるということを実感します。これに対して、課税すべきなのに課税漏れが生じているという不正義は、たしかに許容しがたいのではありますが、社会に広く薄く分散するので、特定の誰かだけが犠牲になるというものではありません。

     上記の後藤教授の論文は、「疑わしきは被告人の利益に」の原則の実質的根拠を、「この原則は、誤った裁判から生じる害の危険を、一個人に集中させず、社会全体に広く薄く負担させるための知恵です。危険の分散というその働きから見ると、「疑わしきは・・・・・・」の原則は、保険の仕組みとよく似ています。保険も、多くの人々が費用を分担することによって、個人にとっての危険を小さくするものですから。」と説明しています(同論文588頁)。
     
  3.  この原則は事実認定に限るか法解釈にも適用があるかといった議論はあるのですが、このように、危険や被害が特定の誰かに集中しないように物事に対応するべきであるという発想はどのような事柄にも当てはまるでしょうから、裁判所が租税法規を解釈するときに、危険や被害が集中してしまう納税者に対しては有利な方向で柔軟な解釈をする、ということも許容されると考えられるのではないかと思います。
最高裁の態度

 そこであらためて考えると、最高裁の判決には、実は、納税者救済に向けて柔軟な法解釈をしたと見ることができる判決も複数存在します。

  1.  延滞税非課税事件(最高裁平成26年12月12日判決)

     これは、相続税につき減額更正がされた後に増額更正がされた場合において、上記増額更正により新たに納付すべきこととなった税額に係る部分について上記相続税の法定納期限の翌日からその新たに納付すべきこととなった税額の納期限までの期間に係る延滞税が発生しないとされた事例です。

     この事例では、①法定の期限までに申告及び納付をした納税義務者による更正の請求に基づいて上記減額更正がされ、これにより減額された税額に係る部分につき過納金が還付された後、上記納付をした税額を超えない額に上記増額更正がされた、また、②上記減額更正は、相続財産である土地の評価の誤りを理由としてされ、上記増額更正は、上記減額更正における土地の評価の誤りを理由としてされた、という事情があります。

     国税通則法60条を形式的に読めば、上記増額更正によって納付すべき国を税があることになるので延滞税が発生します。高裁判決はそのような形式的な理由で納税者を敗訴させていましたが、最高裁は、次のように柔軟に解釈をして納税者勝訴としました。

     「本件の場合において、仮に本件各相続税について法定納期限の翌日から延滞税が発生することになるとすれば、法定の期限内に本件各増差本税額に相当する部分を含めて申告及び納付をした上告人らは、当初の減額更正における土地の評価の誤りを理由として税額を増額させる判断の変更をした課税庁の行為によって、当初から正しい土地の評価に基づく減額更正がされた場合と比べて税負担が増加するという回避し得ない不利益を被ることになるが、このような帰結は、法60条1項等において延滞税の発生につき納税者の帰責事由が必要とされていないことや、課税庁は更正を繰り返し行うことができることを勘案しても、明らかに課税上の衡平に反するものといわざるを得ない。そして、延滞税は、納付の遅延に対する民事罰の性質を有し、期限内に申告及び納付をした者との間の負担の公平を図るとともに期限内の納付を促すことを目的とするものであるところ、上記の諸点に鑑みると、このような延滞税の趣旨及び目的に照らし、本件各相続税のうち本件各増差本税額に相当する部分について本件各増額更正によって改めて納付すべきものとされた本件各増差本税額の納期限までの期間に係る延滞税の発生は法において想定されていないものとみるのが相当である。」
     
  2. ゴルフ会員権贈与事件(最高裁平成17年2月1日判決)

     この事例では、①父Aが、1200万円でゴルフ会員権を取得し、②父Aが子Bに当該ゴルフ会員権を贈与し、③子Bが名義書換手数料82万4000円を支払い、④子Bがその後当該会員権をCに100万円で譲渡したというものです。問題は、④の譲渡所得を計算するにおいて、③の名義書換手数料を譲渡所得の計算上考慮することができるかです。

     所得税法60条1項は、贈与等により資産を取得した者が当該資産を譲渡した場合における譲渡所得の金額の計算において「その者が引き続きこれを所有していたものとみなす」としています。この条文を形式的に読むと、Bが贈与の前後を通じて当該ゴルフ会員権受贈者が引き続き当該資産を所有していたとみなされるのですから、中間の贈与の事実(上記②)や、その際の手数料支払いの事実(上記③)もなかったとみなされ、名義書換手数料を取得費とすることはできないようにも思えます。地裁、高裁判決はこのような理由で納税者を敗訴させました。

     しかし、最高裁は、譲渡所得の課税の趣旨を踏まえて納税者を勝訴させました。すなわち、①譲渡所得に対する課税は、資産の値上がりによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会にこれを清算して課税する趣旨のものであり、②法60条1項の規定の本旨は、増加益に対する課税の繰延べにある(本来は、贈与、相続又は遺贈であっても、時価による譲渡があったものとみなして譲渡所得課税がされるべきだが、贈与等にあっては、その時点では資産の増加益が具体的に顕在化しないので課税を留保した)から、受贈者の譲渡所得の金額の計算において、受贈者の資産の保有期間に係る増加益に贈与者の資産の保有期間に係る増加益を合わせたものを超えて所得として把握することを予定していない、として、本件の名義書換手数料は「資産の取得に要した金額」に当たると解すべき、としました。

     この判断も、条文の形式的な解釈によって納税者に不合理な結果が生じるところ、裁判所が柔軟な法解釈をして納税者を救済した、と見ることができると思います。
     
  3. 小括

      最高裁は、佐藤教授が分析するように、基本的には結論の不合理性にさほど配慮しない厳格解釈の手法を採用しつつも、実は、納税者有利な方向では柔軟な解釈を認めている場合もあると評価するべきようにも思えます。

     佐藤教授も、上記のゴルフ会員権贈与事件などをあげ、ご自身の仮説ですべての判決を説明できるわけではないという留保を付しておられます((「最高裁判決から見た租税法の解釈適用」の「Ⅳ おわりに - 一筋縄ではいかない最高裁判決」)。
まとめ


  法律学にとって、形式と実質のバランスをとることは永遠のテーマと言えます。

  今回のコラムとの関係で言えば、たとえば、国税不服審判所令和2年4月16日裁決(非公表)は、内縁の配偶者は、相続税法21条の3第1項第2号に規定する扶養義務者に該当せず、贈与税の非課税規定が適用されないとしています(税のしるべ 令和3年5月24日号)。

  この形式的判断を前提にすると、内縁の夫婦間の生活費の授受については、(110万円の基礎控除を超える部分については)すべからく贈与税課税が可能となる、ということになりますが、果たしてそのような考えが妥当でしょうか。

 日常の諸々のご相談の中で、これはおかしいと思える事案に遭遇すると、法律家のはしくれとして、なんとか妥当な解決を、というファイトがわいてきます。租税法規は、実はたくさんの未発見、未解決の論点があるので、それを発掘し学説と実務を架橋するような仕事をしていきたいと思います。